ポップ・フランセーズ
ようこそ bienvenue!!
Salut! ポップ・フランセーズ La pop française にお越し下さいましてありがとうございます。
皆様こんにちは。私たち「ポップ・フランセーズ」は日本人のためのポップ・フランセーズ(シャンソン、フレンチ・ポップス、ヴァリエテ・フランセーズ)情報を2007年8月より発信しています。
2008年3月:アンリ・サルヴァドールまたは幸福な人生 Henri SALVADOR ou la vie heureuse
今年のヴァレンタイン・デーの前日2月13日にアンリ・サルヴァドールが亡くなりました。芸能記事風に紹介追悼文を書けば:
アンリ・サルヴァドールは1917年生まれのフランスのシャンソン歌手、ギタリスト、作曲家で「シラキューズ」「恋の病」が代表作です。フランスの海外領土グアドロープ等出身の両親のもとに南米のフランス領ギアナで生まれ、カリブ海の先住民の血を引いています。10代でフランス本土に家族で移住し、若くからジャズギタリスト、歌手として音楽活動を始めました。自らのアイドルであったギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトとも共演。第二次世界大戦をはさんだ1940年代は、往時の人気グループ、レイ・ヴァンチュラ楽団のギタリスト・歌手として戦渦を避けて南米で活動。戦争が終わって帰国した後はソロ歌手として人気を博し、ボリス・ヴィアンとフランス初のロックンロールを吹き込んでヒットさせたり、「ダンモニール(私の島で)」でボッサノヴァ誕生のきっかけになったサウンドを作ったりと多彩な活動を繰り広げました。1960年代以降はテレビに進出して、コメディアン的な部分をアピールし、コミックソングも多く発表しています。「ライオンは寝ている」のフランス語カヴァーや、「マナマナ」のフランス語版「メノンメノン(駄目ったら駄目)」はこの時代です。自らのレコード・レーベル「リゴロ(こっけい、こっけいな人)」も設立。その傍ら、シャンソン史上に残る名作バラード「シラキューズ」も生み出しています。愛妻に先立たれたこともあり、旺盛な創作意欲に衰えが感じられた1980,90年代の不遇を経て、2000年に、当時20代半ばだったバンジャマン・ビオレとケレン・アンがアンリに対するオマージュ(賞賛)として作ったボッサの曲「ジャルダンイヴェール(冬の庭で、邦題:こもれびの庭に)」をカヴァー、彼らを迎えて作ったアルバム「眺めの良い部屋(邦題:アンリ・サルヴァドールからの手紙)」の大ヒットで奇跡の復活を遂げました。既に80才を越えながら2回の日本公演を含むツアー、3枚のスタジオ盤、2枚組ライヴ盤と精力的に活動を続け、2007年12月のお別れコンサートでステージ活動からの引退を表明した矢先の訃報でした。75年に渡る彼のキャリアは、シャンソン、ポップ・フランセーズのほとんどを含んでいます。ジャズを基本に、ロックンロール、南米のリズム、とりわけボッサノヴァとカリプソが特徴ですし、彼のレパートリーには一人コントさえあります。基本は小粋なギターと二枚目の美声でした。生涯白いスーツを着こなした朗らかなダンディのご冥福をお祈り致します。
といったところになります。アンリ・サルヴァドール翁はいろいろなジャンルで活躍したようで実は音楽一筋、自分が好きなものに殉じた人生だったと思えます。途中で、コメディアン、テレビの人になってしまいながらも、人生の最後の最後で大きなイメージ修正を果たし成功裡に終わったのですから、文字通りのハッピーエンド、最終回逆転ホームランです。こんなに人生うまくいくのかいなと思ってしまいます。ギタリスト、美声歌手、コメディアンと並べると、我が国の植木等を思い浮かべる人が多いと思います。底抜けに明るいキャラクターも無責任男植木等を彷彿とさせます。しかし植木氏の場合は晩年はシリアスな役者として活躍されて別の面を見せていました。僕は子供のとき、新幹線のホームでオフの植木氏を見かけたことがあります。そのときにテレビで見られる印象とあまりに違った暗く深刻で、気難しげな様子に驚いたことを覚えています。アンリ・サルヴァドールも、水戸黄門の様に高らかに笑っているばかりではなかったであろうことは想像に難くなく、実際に暗い部分もあった人物だったようで、訃報に続いて少しずつ彼の裏面や暗黒面も語られ始めているようです。光が輝くためには、より深い闇を必要とするのかもしれません。そもそも旧植民地出身という出自を考えただけで、アンリ・サルヴァドールが単純に屈託なくいられる訳がなかったとも言えるのです。
それでも、僕たちには、どこまでも甘く洒脱な音楽と、彼の作り上げた陽気なアンリのキャラクターが残されました。とりあえずは、何も考えずにそれを享受するのが供養になると思います。
ここからは余談ですが、イメージの変化というか毀誉褒貶はどんなアーティストでも本当に激しいものですね。
僕がアンリ・サルヴァドールを知ったのは90年代の初頭で、アラン・シャンフォールがカヴァーした「恋の病」のオリジナルの歌手、作者としてでした。「恋の病」はアンリ・サルヴァドールがウクレレ片手に歌うカリプソで「もし君が僕だけを好きならば僕のすぐそばにいておくれ」と歌うべたべたのラブソング。現地語も取り混ぜ植民地化したフランス語で歌われクレオール(植民地混淆文化)気分満点の曲です。アラン・シャンフォールは2台のピアノをバックに端正かつロマンティックにトロピカルムードを排して歌い上げていて、メロディーの美しさがかえって際立って、大変に興味を惹かれ、オリジナルを探したものでした。当時はサルヴァドールは完全に過去の人で、なんとか2枚組のベストアルバムを見つけたのを覚えています。ちなみにアラン・シャンフォールもフレンチ・ポップス全盛の70年代にアイドルデビューして、日本の化粧品のCMソングも歌っている人です。脱アイドル後のシャンフォールは、これも素直でないアーティストの代表であるゲンズブールと組んだりしていますから、シャンフォールも当然くせ者です。そもそもアンリ・サルヴァドールの「恋の病」をカヴァーしたのも、エイズ基金設立のためのオムニバスアルバムへの参加を求められてですから、誰が考えても、どうかと思う選曲で、もしかするとアンリと屈折したもの同士の連帯があったのかしらとさえ思ってしまいます。そういえば、同じアルバムで、パトリシア・カースは「薔薇色の人生」を取り上げていて、それもなんだかなでした。ただ、カースお嬢は天然の様な気がします。
90年代のアンリのイメージは多彩な面白い人であり、代表作を集めたベスト盤は、面白路線中心だけれどもバラードもボッサもカリプソも入ったとりとめのないものでした。その後90年代の終わりの日本で、局所的にでしたが突然再評価の機運が高まり、日本独自の編集盤まで出てしまっています。これは大変貴重なものでしたが、タイトルが「リゴロ(滑稽)」、アンリのリゴロレーベルの作品を中心とした徹底してコミックソング中心のベストでした。この日本におけるアンリ・サルヴァドール再評価キャンペーンの路線は今となっては的外れな感じがしてしまいますが、アンリ・サルバドールの本質はコミカルさにあるというのは当時としては普通の見識だったと思います。
その時代の大勢に反して、アンリの本質は声を張り上げないでマイクにささやくクルーナー唱法と、ジャズとボッサノヴァの香りだと見定めたバンジャマン・ビオレとケレン・アンは、さすがに目の付けどころが違っていました。彼らの「ジャルダン・イベール」1曲で、アンリ・サルヴァドール最晩年のイメージは塗り替えられ、固定されたのですから、本当にたいした仕事でした。最初から一貫して、アンリ・サルヴァドールは今思われているようなお洒落なアーティストだったと、もはや誰もが思っているのではないでしょうか。しかし、僕の手許の1981年のシャンソン事典では、アンリ・サルヴァドールは面白く、多彩でアメリカのショーマンの様だとして「まるでサミー・デイヴィス・ジュニア」と評され、1999年の別のシャンソン事典のアンリ・サルヴァドールの項目の冒頭は「『悲しみは嫌いだ。厄介で野暮だよ』という彼の言葉にサルヴァドールの全てがある」と始まっています。その事典が掲載しているアーティスト写真は彼の有名なコントの一場面です。そのコントは酔っぱらいをテーマにした「ジン」で、使われているのは口から液体を霧吹きの様に吹き出しているシーンです。
僕は2002年渋谷の来日公演で初めて彼を見ましたが、実は1990年代の終わりにも、「アンリ・サルバドール」のステージを南仏カタロニアのカルカソンヌの、夏のジャズフェスティバルで見ています。ポスターの名前が「Henri」ではなく「Henry」だったのと、街の広場での無料ライブというのに不審を覚えないでもなかったのですが、いそいそと出かけたところ、同名異人のジャズ・トランぺッター(歌も歌った)でした。そういう名前の人がいるのは仕方がないけれど、本家アンリが現役バリバリだったら同じ名前は避けていたんじゃないかなと思います。かのグラムロックの大スター、ディヴィッド・ボウイー先生もデビュー当時大人気だったアイドルグループ、モンキーズのメンバーと同じだった、ディヴィッド・ジョーンズの名を捨てています。当時のアンリ・サルヴァドールは、気にしなくて良いくらい盛りを過ぎた人だったのだなぁと改めてしみじみ。
この際だから書きたいことを全部書きますが、クルーナー唱法はコメディと親和性があるのかもしれません。元祖クルーナー唱法のアメリカ人、ビング・クロスビーはハリウッド映画では珍道中シリーズでコメディを演じています。日本のクルーナーの開祖は二村定一で「君恋し」の創唱者でありながら喜劇王エノケンの師匠だし、クレージー・キャッツの植木等は言うまでもなく、昭和のクルーナー大瀧詠一もお笑いに走りがち(「レッツ音頭アゲイン」という曲がある)なこととか、なにか理由があるのでしょうか。そういえば、ウィスパーボーカルの女性は沢山いますが、そういう女性アーティストはコメディ路線に行かず、面白路線はジュリエットにしてもジャンヌ・シェラルにしてもガンガン歌うタイプなのも不思議です。思い当たる節のある向きはご意見をお待ちしております。もちろん、それ以外も大歓迎です。サイトのリニューアルも含めご意見をお待ちしております。メールでも掲示板でも結構ですので宜しくお願い致します。
- depuis 1/8/2007
- このサイトの全ての著作権はポップ・フランセーズにあります。
- Copyright (C) La pop française. All rights reserved.
- Droits de reproduction et de diffusion resérvés (C) La pop française